2021.03.22
自身をも救った松下氏の「人を大切にする経営」

お疲れ様です。
「人を大切にする経営」を
貫き、危機を克服した松下氏の
エピソードもいよいよ本日が
最後になります。
■公職追放を命じられるも、
従業員の嘆願により現場復帰
これまでの「人を大切にする経営」が
松下氏自身を救いました。
時は1945年。
敗戦した日本の復興のため、
松下氏は生活必需品の生産に全力を傾けていました。
10月には生産と販売を軌道に乗せたが、
インフレのため資材費、人件費は高騰。
売上が月100万円にも満たない中、借入金は2億円、
その利息負担だけで月80万円という「火の車」の状態でした。
そんな中、GHQから松下氏以下、
すべての役員の公職追放が命じられました。
時の権力に逆らう術は無く、万事休す。
ただ、これに黙っていなかったのが、
松下電器の従業員たちでした。
「社主、松下幸之助は、全従業員の中心となる大黒柱である。
再び会社を盛り立て、従業員の生活の安定を
保つためには、絶対に彼が必要だ!」
こうして、全従業員の90%以上が、
松下氏の追放解除を要請する嘆願書に署名しました。
従業員以外のものも加え、
1万5000通もの嘆願書がGHQに送られました。
この熱意がGHQを動かし、
松下氏はわずか半年で追放を解かれることになりました。
終戦直後の激しいインフレの中でも、
「せめて従業員の給料だけは支払う」と、
莫大な借金を抱えながら堪え忍んだ松下氏。
その後、朝鮮戦争の勃発による特需で
松下電器の業績を急回復させると、
続いて到来した高度経済成長期の波に乗り、
同社を世界的な大企業へと成長させていきました。
現在、新型コロナが世界中に暗い影を落としています。
先が見通せない状況が続きますが、そんなときこそ、
松下氏が生涯をかけて体現した
「人を作り、人を大切にする」
という理念を思い起こしたいです。
次回の更新も楽しみにお待ちください‼
「人を大切にする経営」を
貫き、危機を克服した松下氏の
エピソードもいよいよ本日が
最後になります。
■公職追放を命じられるも、
従業員の嘆願により現場復帰
これまでの「人を大切にする経営」が
松下氏自身を救いました。
時は1945年。
敗戦した日本の復興のため、
松下氏は生活必需品の生産に全力を傾けていました。
10月には生産と販売を軌道に乗せたが、
インフレのため資材費、人件費は高騰。
売上が月100万円にも満たない中、借入金は2億円、
その利息負担だけで月80万円という「火の車」の状態でした。
そんな中、GHQから松下氏以下、
すべての役員の公職追放が命じられました。
時の権力に逆らう術は無く、万事休す。
ただ、これに黙っていなかったのが、
松下電器の従業員たちでした。
「社主、松下幸之助は、全従業員の中心となる大黒柱である。
再び会社を盛り立て、従業員の生活の安定を
保つためには、絶対に彼が必要だ!」
こうして、全従業員の90%以上が、
松下氏の追放解除を要請する嘆願書に署名しました。
従業員以外のものも加え、
1万5000通もの嘆願書がGHQに送られました。
この熱意がGHQを動かし、
松下氏はわずか半年で追放を解かれることになりました。
終戦直後の激しいインフレの中でも、
「せめて従業員の給料だけは支払う」と、
莫大な借金を抱えながら堪え忍んだ松下氏。
その後、朝鮮戦争の勃発による特需で
松下電器の業績を急回復させると、
続いて到来した高度経済成長期の波に乗り、
同社を世界的な大企業へと成長させていきました。
現在、新型コロナが世界中に暗い影を落としています。
先が見通せない状況が続きますが、そんなときこそ、
松下氏が生涯をかけて体現した
「人を作り、人を大切にする」
という理念を思い起こしたいです。
次回の更新も楽しみにお待ちください‼